三浦市・横須賀市・逗子市・葉山町・鎌倉市と横浜市で形成されている
三浦半島。
その
半島という地域柄、他の半島と同じく大きな経済発展をする事が今までありませんでしたが、他の地域からの攻撃を受けにくく“守る”という事に関しては非常に適しており、第二次世界大戦では
横須賀鎮守府として活躍した横須賀基地がありました。
終戦後、その基地は米海軍横須賀基地となり現在に至るのですが、昭和21年4月、最初に配属された大佐が『
ベントンW.デッカー』さん。
この銅像、以前は市役所前の公園にあったそうですが、地下駐車場建設時、この地へ移設されたそうな。
猿島を望むこの景色を観て、今、何を思うのだろうか…
一説には戦後に有効活用したいので空襲しなかったとありますが、
高射砲が
沢山あった横須賀は攻める側からすれば嫌な場所。結果として街の機能が残り、焼け野原となった東京と比べて復興の先駆にはもってこいの地域だったそうな。

病院や学校、商工会議所や女性会、PTA…
日本の復興に必要だろう事に多大なる尽力を注いでくれた
大佐。
その功績が地域の人々に認められ、戦後数年しか経っていない最中、米国人でありながら『横須賀市長になってくれないか?』と言われた人物…らしい。
そんな歴史を紐解いて行くと

意外と面白かったり、地元に誇りを感じてみたり…
小学生の頃は社会ってキライだったけど、悪くない気がする。
気のせいか?(苦笑)
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